インテグラルなセラピーへのブログ

インテグラル理論に基づく成長と覚醒への癒やしと学びに繋がるお話し

四象限のお話 Part1

Part1の感想と補足
久しぶりに無境さんと対談しました。
改めて見ると
インスタやブログなど書きたいことを書き続ける傾向にあって、
伝えるという視点が抜ける癖が
動画にもあったので、
ここで解説みたいなことをまた書いていきます。

 

パズルとハートで伝えたかった事

ここで話したかったのは
無境さんが言うように
例えハートに見えたとしても、
ズームインするとパズルの集まりだとなるものが、

他人に依存する事が当たり前
人からおこぼれや分配を狙う
など
そういう生き方をしてるから
自分という個を見られたくないために、
1つの集合体に擬態するケースもありました。

具体的に書くと
散々ボロクソに書いた前職場の社長ですが、
「俺もおむつ交換したからお前もしろ」とか、
游が全く理念や行動理由に共感や納得を感じないのに、
「皆であの患者さんを最後看取れて一体感を感じた」とか、

全員が同じ感情と思考でいることが統一と捉えて
レッドの自己中心的な欲望のワガママに振り回されたり、
(前回書いた女管理職の事)
自分達の願望を邪魔する人間は全て敵だと考えるなど

その社長の理想のために
個人の自由意志を否定し多様性を排除する
文化(集合)そのものに巻き込まれていました。

こういう事からも
正直ハートの図を使うよりも
スイミーのでかい魚の擬態
を入れた方が良かったかなと思いました。

「自分」を知る成長の物語 奥深いストーリーのロングセラー絵本『スイミー』 – 絵本さんぽ

おこぼれ乞食や似非環境活動家の勘違いをもう一度

これは
部分と全体
個人と集合
をごっちゃにしていることです。

人間は個と集合の二面性が必ずあって、
個人で生きてるようで、
集団の面が存在しており、
集団というフレームを使ってもそこには
個という概念や表ないし裏が消える事はないということ。

つまり
人間は一人で生きてるようで
誰かの助けを元に生きていますし、
ある組織もどれだけ大きく見えたとしても、
小さな個が存在する事が
コインの話でわかることです。

ですが
上記のおこぼれ乞食の社長や
動画で話した環境保護活動家は
細胞と身体との「部分と全体」の関係と、
人と社会との「個と集合」の関係は全く異なるのに同一視してることです。

細胞と身体ですと、
身体がなくなっても、
部分の細胞は培養液の中などで存在し得ますが、
部分の細胞がなくなれば全体の身体は存在し得ません。

つまり
全体には必ず部分が存在するということ。

それに反して
人と社会ですと
個と集合は一つのものの二つの側面ですから、
どちらかだけで存在するはずはない。

つまり
個としての個人が存在しないなら、集合としての社会も存在しないのです。

だから
個があれば集合は必ず存在している。
それが完全な集合の価値観に染まっていなくとも。

この事から
おこぼれ乞食や
環境活動家が言うような

望ましくない結果が
一人の行動の結果だけとは言えず、
そこには必ず集団の意図の反映がある。

気に入らない人間が消えれば
組織や地球が良くなる
と言っても
気に入らない人間が消えれば共に
組織や地球が消えるということも理解しないといけないです。
(組織や地球が個人の集合的な存在であれば)

集合である社会を全体である身体と見立て、
個である個人を部分である細胞に例え、
全体としての社会の歯車のように個人を扱うことは、
一種のファシズムに帰結し
子どもや親自身をも病気や鬱にさせるヴィーガン信仰から、
自分達の都合で経営難だから体良く人をクビにして、
その癖直ぐに人を雇って状況を悪化させるとか
非常に歪な結果を招くのだと言えます。


もし本当に
地球や環境の事を考えるなら
地球には地球の個と集合があったとしても、
人間は地球の部分、所属とは考えないでしょうし、
和多志達が影響を与えられるのは、
地球に居住してる人間としての
個と集合は共にどう生きていくのか、
お互いを理解するためにどんな対話をするのかを突き詰めることが
結果的に地球を守る事に繋がると考えます。

要は地球のため、会社の為と
気に入らない人間を排除する
無理やり従わせる生き方では
環境の破壊や経済状況が良くなる
どころか、
分離や特定の個人のエゴが助長される未来が見えてきます。


そしてこれも追加した方が良かったなと思う言葉があって、

人は生態系のレベルを超えているからこそ
それを破壊することも保護することもできる

とウィルバーは考えているようです。


動物や植物を和多志達は超えていますが、
地球の存続は
スピリチュアルの観点からすると
神性や神の領域なります。

人は神を超えているのでしょうか?

歪な結果をもたらす
社長、環境活動家
が恐れているのは
動物の虐待や
自然が壊される事ではなく、
低次の願望や欲望が満たされない事であって、

(トラウマを再び味わいたくないも願望の一つ)

だからこそ、多様性や自由意志を否定するために、
全体と集合を混同して、
部分と個人を同じ扱いにして
共同体の搾取的システムや支配的な構造に従わせます。


もし和多志達がそれが幻想(マーヤ)だと氣づいたら
個人は共同体の中で相互作用を円滑に進めるために集合である社会に従っていますが、
しかし完全に従わなければならないというわけではないし、
社会がその支配を強制できるわけがないことに覚醒めるかと。

 

第7章 ウィルバー4――コスモスの地図 | ケン・ウィルバーの思想の考察 | ウィルバー思想の考察

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