インテグラルなセラピーへのブログ

インテグラル理論に基づく成長と覚醒への癒やしと学びに繋がるお話し

トラウマを否定するトラウマ被害者に告ぐ

今日の供養はおこぼれ乞食社長支配した女管理職についてです。
(この名称の意味は各リンク先記事へ)

彼女はとあるマルチの会員で
岸見理論のアドラー心理学コーチングを学んで実行していました。

批判も客観的な視点が一切ない
自分と身内だけには全肯定の気持ち悪さだけでなく、
他人を誘導して支配するスタイルのコーチングは不愉快でしたが、
そもそもトラウマなんてないと
真実を否定する馬鹿な所も不愉快でした。


和多志は嫌われる勇気はもちろん読みましたし、
岸見理論に汚染されていない
アドラーの原著も複数読みました。

そしてその管理職の女がトラウマの存在を否定してる癖に
トラウマの影響をもろに受けて拗らせて、
乞食社長を支配してエゴや問題を助長している愚行が
何故起きたのかをまとめたり、追加鑑定したことを載せてみます。

岸見一郎の功罪

岸見一郎氏の著書『嫌われる勇気』
これはアドラーの教えを現代に適応させたもので、
青年と哲人の対話形式を通じて、
自己啓発の源流とも言えるアドラーの思想を紹介しています。

それに影響されてなのか、
前職場の管理職はトラウマ以外にも劣等感を否定する態度が
ちらほらありました。

ですが上記で書いたように、
生きる意味・人間の本性
などアドラー原著の書籍を読んできましたが、

明確にトラウマなんて無いと否定する言質もなく、
原因論と目的論の話を
トラウマなんて無いから
親のせいで○○できない何て言い訳

という暴論に結びつく証言は一つもなかったです。

ですが管理職の女はこのような事実を無視して、

トラウマはないと言い切り、それを一切疑いもせず容易く信じており、
平気で人を傷つける発言や、利用して搾取する行動が
他の職場の女性よりもかなり目立っていました。

 

あるものをないと信じる愚者の思想は?

トラウマ否定説を信じるのは、
「鬱は甘え」「水を飲むは根性が足りない」
等と非科学的かつ非論理的な
感情論・根性論を言ってるのと変わらないようなものです。

 

またトラウマを否定するために

同じ辛い過去を経験した全員が引きこもったり病気になったりするわけではない。
だからトラウマは存在しない

みたいな説明文がありますが、

覚者のおでこがみんな凹んでいるからおでこが凹んでる俺は覚醒してる

と言うような馬鹿なように、

辛い過去を思い出すのは不幸でいたい目的のせいだから
トラウマはないと決めつけるのと同じレベルで愚かです。

 

実際に乞食社長の毒親による影響とか、

和多志がこんなスタイルの理学療法士になったのが
血を見た実習時代や地獄界の旧職場の話など
色々その管理職の女に話しましたが、

毒親なんていない、その人達に感謝できひんお前に問題があるだの、
意味不明な説教で終わりました。

そもそもこのアドラーの目的論を使って

「他人から暴言を吐かれた、暴力を振るわれた」

などの理不尽な事があった被害者が
怒りや悲しみの感情が湧いた時にも、
その感情も何かの目的のために後から作り出した
弱者、未熟者扱いする思想、偏見が見受けられて、
それこそよほど理不尽だと思います。

本来心理学は相手が目的が無いほど落ち込んだり窮地にいる場合は、
原因、トラウマという心理的受傷部を癒すもので、
目的論が癒しになるのは過去にトラウマがあったとしても、
あなたは目的のためにその傷を包み癒すことができると
希望を与える文脈や背景が存在するはずです。

どういうコーチングを学んできたのか知りませんが、
弱った人間を弱者でいるための目的を作ったダメな人間と
見下したり、言葉には直接出さずとも態度には出ていました。

論理的思考ができない馬鹿女の言い訳

結局のところ女管理職の特徴として

俯瞰した状況整理や根拠を固めるための調査、探求
という概念がまったくなく、

動かないとわからないとか、
凄い社長は皆行動してるだの

自分で思考する努力を放棄して、

その都合のいい言い訳材料に
目的論を肯定して、
過去という過程や原因と結びつきが強い
トラウマという概念を否定していたと言えます。

だからこそ潜在意識や無意識には
男への攻撃的な態度、自分が性欲を拗らせた結果
社長が性的な目で見ているという妄語を連発する、
部下を信じなくて自分のワンマンで何でも進めようとするなど

明らかにビリーフやメンタルモデルに問題があって、
それを構成した人格やパーソナリティがあるのに、

人を決めつけるのが嫌いとか

そういう陰謀論ばかりやから(游に)友達いない

だの侮辱して人の知恵や才能を潰した
吸血鬼、陰糸の手先みたいな人間です。

 

実際に女管理職が社会的に精神的に
発達や目覚めで自分に学びや癒しになれば
原因論に囚われているのは

「俺自身の業因縁のせいだな」

と見ることもできますが、

人格の意識レベルは2.5人称視点で自分と職場の都合でしか考えられない
マルチにハマっていてその商品以外の選択肢を否定し、
その癖自分は副腎疲労症候群で何度も体調不良で
職員に迷惑をかけまくっているなど

関わったことが人生の汚点とも言えるぐらい
業が深いカルマ案件だったなと
思う人間相手でした。

 

毒親、メンタルモデル、自我復元

これらは「過去の体験が今なお悪影響を及ぼしている」
のがトラウマという定義がないと説明がつかないですし、

それを否定したり、陰謀論と聞き耳を立てないのは

人間の行動が全て目的で説明できると思ってるのが傲慢で、
歴史や過去を作ってきた先人に対する冒涜や侮辱に値します。

 

幸い乞食社長と副腎疲労のせいで丸顔女とは絶縁状態で、
過去の職場を離れましたが、和多志がペンを持つ理由は

こうして同じ加害者や被害者を生み出さないためにこの思考を世に出しました。

 

参考サイト

「苦しい劣等感」vs.「苦しくない劣等感」〜〜「このままの自分でいい(十分)」と思えたら苦しみはなくなる : 菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

アドラー心理学の嘘と危険性 トラウマや鬱の存在について~心理学ではなく哲学や自己啓発の一種~