インテグラルなセラピーへのブログ

インテグラル理論に基づく成長と覚醒への癒やしと学びに繋がるお話し

第三の目覚醒で悟れるというデマ

今回は珍しくレベルの話ではなく、
覚醒や目覚めの話について書いていこうと思います。

ある記事を読んで、第三の目について色々言われていますが、
こちらから第三の目とは何かを教えるよりも、
既存の常識やそれらに対する自分なりの
突っ込みを書いていこうと思います。
(引用先は内密にしています)

 

オデコで悟りを決める人

《絶対意識の悟り》を実現するためには、
〈第三の目〉が完全に開いている(活性化している)ことが絶対条件です。

中略

〈第三の目〉が完全に活性化してきますと、眉間の1〜2センチ上の辺りがわずかながらにくぼんでくるように思われます

これはラマナやニサルガなどの覚者の第三の目の話から
眉間の話に繋がり、
かつ自分も同じように眉間が窪んでいるという内容でした。

このような文章でなるほどと思う人がいますが、
和多志は様々な覚者を見ているおかげで、
これはおかしいぞと初見で見抜けました。

そもそもこの理由で著者を覚者だと勘違いする人は
以下の思考実験にあるような

全ての花には花弁がある
このバラは花弁がある
と言った時に「このバラは花である」

という結論を出すような人です。


ですが上記の例だと

そもそも全ての花に花弁があるという誤謬があり
花弁があるからと言って花とは言えない
可能性があるからです。

 

例えば
花弁のない花は松ぼっくりだったり
このバラは花弁があるが材質が折り紙など
花であるための必要条件を満たしていないからです。

 

和多志も全ての覚者の必要条件は探求途中ですが、
第三の目の活性とか、眉間が窪んでいるとかは
十分条件であって、
窪んでいたり、てかっているから我は覚者だというのは
覚者・悟りの誤謬と言えます。

 

あえていうのなら
肉体や物質世界では存在しないエネルギーを持ち合わせており、
その結果を第三の目活性という人もいれば
オーラが整っているという人などいて、
それが枯渇していないから悟った状態で
この世を生きられているのが悟り人
というのが必要条件だと考えられます。

 

(これを偶然見つけた人に情報を提供すると、
三者から意図的かつエゴ的理由でエネルギーの供給を受けていない
人も覚者や悟り人で、人との交流を積極的に好むのは覚者でない可能性が高いです)

松果体、直観を侮辱する人

上記の第3の目ですが、
視床下部松果体など色々言われることがありますが、
共通するのは直観やサイキックな所になります。

ですが以下のような文章もあります。

《サイキック・サードアイ》だけがもともと発達している人たちは、
〈知性によって考える〉ということよりも、
〈直感的なビジョンに頼りがちになっている〉からなのか、
《混沌としての自己》にありがちな、
知性が未発達である人が多いように見受けられます

 

これチャクラの発達やインテグラル理論にあるレベルから見たら
矛盾している文章です。

そもそもですが
直観を成立させるためには
記憶が必要になり、記憶は思考の体系化により作られます。

逆に言うと適切な思考が土台にあって、

記憶が直感と結びつき

ビジョンや予感となります。

このことから松果体やサードアイのことなど
第6チャクラが開いている、ティールよりのグリーンの状態でいる人が
直感やビジョンに頼るから知性が未発達というのはおかしいのです。

もしそれが未発達や未熟と見えるのは、
自分自身が未発達だから相手の知性や能力を評価できてなかったり、
そもそもサードアイが発達しているのではなくて、
感情や経験が乏しい状態で思考を使わずに
本能に近い部分の直感を使った人を判断した可能性が高いです。

また蔑ろにしているように見えるのは、
自分がその人の知性や知的能力を確認していなくて、
実はとてつもない量の思考や論理的思考の上で出された
直観を日々磨いていて、第三の目を使っていると一々その説明をする必要性を感じなかったり、たまたま外れただけの1回を見て
決めつけた可能性があります。

(この被害を和多志が受けるのは結構ありました)

結構知性を低く見るスピリチュアル系もいたりしますが、
今回は違って直観の使いすぎを酷評する内容でした。
ですがどっちにしても
知性か直観のどちらを分断するかですので、

真理とは言えないかと。
また気づきや目覚めはインテグラル理論からすると
レッドの段階でも起こりうることはありますが、
ただそれだけで世界を統合して完全な調和とは言い切れないので
この状態だと何かしらのエゴ、分断、矛盾が包含されていると見ています。

「第三の目の覚醒」によって起こる変化の鑑定

また第三の目には気づきと知性の2つあり、それぞれ違うという意見もあって、関係ない扱いされていましたが、
これは完全に間違いで、
成長と覚醒の道が共にあるように、
気づきと知性が共に段階として影響しあっています。

そもそも気づきという行為や結果に

第三の目という表現よりも、

霊界、心の目などを使わないと

既存の科学知識ではどうも説明がつかないのが現状でした。

以上の事より気づきにしても知性にしても
第三の目の覚醒に伴う変化の特徴を引用して鑑定しまして、

嘘なら0、真実なら10を指標に11段階でつけます

精神面に起こる変化

自己を意識しやすくなる5
集中力が高まる0
集中力の持続時間が長くなる0
自分の心の動きに対しての「気づきの精度・範囲・強度」が向上する0
外的環境に対しての「気づきの精度・範囲・強度」が向上する0
自然と「意識的な状態」でいることがをできるようになる0
自分が思考や想念の中にいるのではなく、
それらが自分の外部を漂うものであるという事実を認識するようになる5
思考や想念に巻き込まれにくくなる0
感情に巻き込まれても、
そのことに冷静に気づいている自分を保つことができる0
常に「ぶれない安定した自分でいること」ができるようになる0
眠気の影響を受けにくくなる=眠気に対して強くなる0
お酒などの酔いの影響を受けにくくなる=アルコールの影響に対して強くなる0

肉体面に起こる変化

キリリと引き締まった知性的でスマートな顔つきになる0
自己に堅固な中心が存在し始めるようになることにより、存在感が増す0

 

こりゃ酷い(;^ω^)

この文章に賛同する人ほど和多志を攻撃するでしょうし、
第三の目が活性化しましたよ、これがあるからしてますよ
と言われてもピンとこなかった人は
全然違うやんけと氣づきになるかと思われます。

和多志のいう第三の目活性化ですが

自己と外部を繋げる事8
真実と外部を見分ける事10

があてはまるかなと思います。

 

ちなみに

第三の目が開いているかどうかの検証だと

ある記事で複数あったものの
”あなたは「思考(想念)」と「あなた自身/あなたそのもの」とを同一視していませんか?4”
だけが点数がついたので、
和多志ができるキネシに基づくと、

  • 記憶に余計な澱みやトラウマはありませんか?7
  • 記憶から脱同一化できていますか?9
  • ビジョンを拒絶せず一体化できますか?9
  • 悟りに近づいていますか?0

となりました。

これを見ると変に誰かに第三の目を活性化してもらおうと
邪なことを考えずに、
ご自身の記憶を内観を続け、
記憶から脱同一化するための瞑想や
サードアイで見た景色を拒絶する自分との対話
が必要になってくると思われます。

それをするためのエネルギーが自分一人では心持たない時
誰かにヒーリングをするのが選択肢だと思いますが、

一人ですると偏桃体が暴走するから危険だの
あの世とこの世がごっちゃになって現世を生きられないだの
色々な脅しをする自称ヒーラーを見かけますが、

本当に危ない事なら曖昧な表現でぼやかさず一人で済ましたい人の背景やブレーキポイントを抑えて説明するものですが、

そういうこともなく止めるのは恐怖心を利用した扇動にしか見えませんし、

きちんと守護霊様や守護神様、和多志達をこの世に誕生させて頂いた
宇宙神に感謝し、そういう恐怖は自分たちが作ったんだと自覚できれば
おのずと自分の瞑想の時間や対話を尊重できると思われます。

悟れないと自分はダメだとか
サードアイが開かないといけない
と否定する前に
なぜ悟れない自分とサードアイが活性化してない自分がいるのか?
今一度ご自身の良心、守護霊様と守護神様とご一緒に
向き合ってもらえる機会になれば幸いです。

(そもそも第三の目活性化と悟りは関係ないと和多志の鑑定結果ですし)

 

㎰:第三の目活性化方法

よくある眉間に意識を寄せる
これの効果を点数化すると

効果6
問題度10

と出ました。

効果が出やすいのでやりたくなるのでしょうが、
これの具体的な問題は、
教えた人間にエネルギーを譲渡してしまう欠点が存在します。
(他にもありますが)

セルフでやる場合だと、これをやろうとしたきっかけの人とか、
ワークだと主催者やカウンセラーなどですね。

諸刃の剣覚悟で第三の目活性化とはこういうことかを
実感するためにするのはいいかもですが、
続けていくと覚者になれるとは思わない方がいいでしょう。

上記で書いたようにとてつもない霊体・神体にエネルギーがあるのが
覚者や悟り人になりますので。

 

お問い合わせ、セッション依頼は以下からお願いします。

Instagram

㏋: integralhealingsalon