インテグラルなセラピーへのブログ

インテグラル理論に基づく成長と覚醒への癒やしと学びに繋がるお話し

呪術や魔術を留年してる大人達

救世主コンプレックスを拗らせた社長や自意識過剰な大人こどもの話から、

彼らは自分が特別だということを拗らせていますが、

逆に和多志達はなぜ普通でいられるのか疑問に思いました。

そして彼らは彼らで問題なのですが、
多くの人々がインテグラル理論のマゼンタ
という部分の発達が疎かになっている可能性が出ました。

 

執着と拒絶の二極

よく問題は同じ相手と自分が同じレベルだから起きるといいますが、
こういう人間に対して
お前は強欲まみれの性加害者や強盗と
真面目に仕事をして生きている人間を一緒にするんか
と思ってたことがありましたが、

この同じという部分が勘違いされていました。

目に見える部分だと
社会的地位、職業、年齢など

目に見えない部分だと
価値観、個性、霊格など

こういう部分が違うのに
レベルが同じだの鏡の法則だの言われて
不快な説教にへきへきしていました。

 

そして色々調べ、整理し、まとめてみると
このレベルというのは
発達段階・覚醒段階にあるのではないかとなりました。

 

覚醒はまた別の機会に書くとして、
和多志の過去を振り返ると

一方がその段階に執着して、
もう一方がその段階を拒絶する

だからこそ
性格、人格、霊格が異なれど
対立・争い・闘争
が起きることが考えられます。

欲しい物が得られないという攻撃
痛い物を避けたいという排除

これらは例えどれだけ高い地位・役職
理想とされる価値観、意識レベル、与える側

だとしても自己・自我が存在する限り
起こりうるのです。

 

マゼンタ段階の執着と拒絶

マゼンタというのは、色的には赤(レッド)に近いのですが、
そこに少し青が混ざって、
赤色とは違うのだなと体感します。

 

 

 マゼンタの世界観は、呪術的とか、アニミズム的とか説明されることが多く、
ウィルバーによると、マゼンタの段階は、20万年ほど前から存在していたとのことです。

 

 マゼンタの世界観は、
一言でいうと

「自分の都合の良すぎることを考えている」

という精神状態です。

典型的なのが引き寄せの法則カルトで
ポジティブなことだけ考えればポジティブになるとか、
世界は自分を中心に回っているとか
俺とお前では格が違うだの

万能感や特別感が全ての世界観になります。

これは呪術的と言われるゆえんの
疑似的で空想的な作用によって、
(山が怒っているから噴火したなど)
主体と客体は互いに影響を与える事ができると思い込んで
自分の力を拡大したいという動機や衝動を
その認識と組み合わせたからです。

またこの段階は自我が未発達のため
「自分の中に他者の存在がない」
つまり自分という自己だけが世界になっています。

他者の存在がないことは
他人の意識、心、感覚などを無視しており、
対人関係の構築を妨げてしまいます。

だから陰謀論が科学的思考に必要な、
相手の反証や自分の感情を無視した結果の受容
引き寄せ中毒が得られない事から
情報の獲得や経験を否定した不快感からの拒絶
が起きるかと考えられます。

 

ただマゼンタの負の側面を拒絶するために、
自分に都合のいいことなんて起きるわけない
目に見えない力なんて自分に関係ない

などのような態度を取っていると、
運や偶然という自分の力に及ばない部分から分離して、
全部が自分自分となったり唯物論カルト
に堕ちることも考えられます。

またマゼンタの自分が世界に影響を及ぼせる感覚を無視することで、
この先のレッドという段階にも悪影響を及ぼし、
他人の支配や搾取をしょうがない、
神や超常現象なんかで助からないと
自暴自棄になる可能性もあります。

 

そう考えると、
子どもの時や中学生の時に
自分には特別な力があると思い込み切れなかった
人達は
漫画やアニメの世界にあるような
呪術や魔術という存在に対して経験が乏しい、

この段階を飛び級している人たちとも言え、

逆に自分の主観で世界を変えられるという
妄想に憑りつかれている人間は
呪術や魔術を留年している大人たち

とも言えます。

 

自分が特別だと思う知覚と
目に見えない存在に畏怖する体感

 

これらいずれも切り離しては生命から分離することになり、
かといって我欲のまま留まり続けるのは
進化や自己からの変容を閉ざすことになります。

 

自分が特別な事にマインドフルネス

インテグラル理論に基づく
マインドフルネス瞑想では
マゼンタの領域に対して

自分が特別な存在であるという感覚に、
じっと意識を向けていきます。

 

もし和多志のように拒絶してきたのなら
宇宙がなんでも与えてくれるおじいちゃんだという
擬人化させた願望実現を
判断することなく、非難することなく、
同一化することなく、
ただ、ありのままを録画するかのように、
純粋な意識をもって、その感覚と向き合い

メサイアコンプレックスや自意識過剰ならば
世界が自分のために動いているんだ等の感覚を、
主体ではなく客体に、
自己ではなく対象にし、
意識を真っ白な状態にして、
特別でもあり、特別でもない
新しい自分と出会うことが発達の出現です。

 

もしも大宇宙が全ての経験に意味を与えて頂けるのならば、
相手の存在から自分に本来あるものを思い出させることが、
自分の業の解消、ならびに学びに繋がるのではと思います。

 

参考記事

魔法の使い方|佐藤シューちひろ (note.com)

 

 

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