インテグラルなセラピーへのブログ

インテグラル理論に基づく成長と覚醒への癒やしと学びに繋がるお話し

贋作で目が肥えてしまったスピリチュアル・霊能業界へ

ダウジングキネシオロジーを使っていると、
何が正しいのか、自分が何をするべきなのか
筋反射で教えてくれることがありますが、
その結果は全員にとってなのか、術者だけなのか
行動して、結果を評価して、鑑定内容との差異
を見ないとわからないです。

 

正直占いや靈視とかになりますと
仮説も立てなくて
術者と受け手の主観と印象という価値観
で全てが決まるようなものです。

 

仮説検証が大事と言いたいですが、
そういう科学的な過程を疎かにする人は
本物を偽物だと嘲笑、侮辱して、
偽物を本物や神だと崇拝しひれ伏す
地獄絵図になっているなと思ったことがあります。

 

和多志は正直な所、

スピリチュアルの本も、
最近参加した癒しスタジアムというイベントも
ろくに能力や結果が伴っていない
偽物だらけなのに本物だとレビューしたり、
高評価を与える人たちに疑問を思ったので、
何がこの世界に贋作をもたらしたのかを書いていきます。

(ちなみに癒しスタジアムで一人本物の方がいたので
サービスを受けてみたら学びと氣づきになりました)

人間の精神が求める3つの価値

この考え方は古代ギリシャの哲学者プラトンの提唱した
「人間の精神が求める普遍的な価値のあり方」を示す
「真善美」と重ね合わせることができます。

ざっくり書くと、

真:実現できること
善:善いとされること
美:美しいと感じること

と説明することができます。
インテグラル理論の四象限と関連すると、
内面によって作られるのが美
集団によって形成されるのが善
システムや客観性で証明されるのが真

と言えます。

そして四象限を意識していない人は
どれかが欠けていたり、
もしくは一つの側面を過剰に評価する
ということになりかねないです。

 

真善美いずれも
正しい・間違っている
許せる・許されない
本物・偽物
という評価や判断が生まれます。

 

ではスピリチュアル業界にありがちな
真善美の欠損や偏りを述べていきます。

 

「真」の視点が欠けていると

いわゆる客観性を無視した世界観にいるため、
技術や形、構造、経済性に目を向けないので、
実現できないもしくは経済的に成り立たないということが起こります。

例えば量子力学などの話が
スピリチュアルに用いられることがありますが、
実際は人々の意識があれば変わる

など内面の話ばっかり述べていて、
先ほど記載した仮説検証が無い他にも
誰が・いつ・どのように・どれくらいすればいい
もしくは何が欠けたら上手くいかないのかなど
再現性のある説明に欠けていることが殆どです。

 

そのため、
実際の歴史に起きている事実を無視して
主観的で本能的な直感で決めつけた意見などは
全く再現性がないなどで真の視点では間違っているのに
あの先生は私の事に寄り添ってくれるからとか
みんなあの先生をフォローして見ているから
などと

事実を無視して客観的な評価ができないために
科学的ないしシステム的な本物は無視されることがあります。

 

「善」の視点が欠けていると

もしこの視点が欠けたら
倫理性や道徳に反するものが
社会に受け入れられない、認められない
ことに氣づけないことになります。

例えば大勢の人間が助かるからと言って
少数を奴隷化して消耗させたり、
家畜化して食糧にするという猟奇的な発想は
倫理や道徳に明らかに反していますし、

美しい芸術のためと言って、
拘束して動かないようにして絵を描いたり
傷つけて標本や剝製するという
非道的なことがありえます。

 

一応スピリチュアル業界は
エシカルやオーガニックなどで騒いでいるので、
この善的な視点が欠けている人が多数とは言えませんが、
倫理性や道徳観がどうも
真実(客観的事実)から遠かったり、

和多志個人の美とは相反する
人が多いなと感じることも多いです。

正直な話

和多志みたいな理屈や情報収集が好きでないなら

良いセラピストであるには

真を追求するよりも、

善・美を追求する方が報われる傾向にありますが、

その善が個人の価値観や思い込みのせいで

善から遠ざかってしまうことも

原因の一つだと思われました。

 

「美」の視点が欠けていると

そして結構引き寄せの話とか神様の話が好きな人にありがちなのが、
美の観点だけで話すことが多いのですが、
過去の和多志は美の視点を欠いてスピリチュアル業界
に関わっていたなと思います。

 

具体的に言うと
自分の中の美意識や感性が薄弱だったので、
「満たされない」「心が喜ばない」
ということが常にありました。

 

その時は祈りや瞑想をしている時も著名で、
客観的に論文などでこの2つは効果があるからとか
社会に適応できるからとか、自分の問題が減るからなどと
他人の目や実利を優先していて、
それが心地よいからとか、それをすると何かと繋がれる
というような安堵や安らかさを欠いていたことがありました。

 

そのため、
不安や恐怖を無くしたい
もっと満たしたい手に入れたい
というような欲が強かったり、
自分の中の美意識にストイックな人と相いれない
ということが過去の和多志にはみられました。

 

この原因についてですが

他人の視点というものを重視しすぎるものがあります。

これは四象限の集団ないし客観性に偏っている状態で、

和多志の場合、空気を読めない人間ですので、

内面を表に出すと集団にそぐわない形になるため、

右の領域を拒絶や抑圧を続けた結果

傾向的に左領域の客観性が強く出たのかなと。
(サンプル数が和多志と科学に偏りがちな理学療法士業界と
少ないので何とも言えませんが)

 

完全な贋作が存在しないそれが精神世界

以上のことから
偽物を偽物と見抜くには本物をたくさんみる必要がある
という話が多い中で、
じゃあ本物って何なんだよ

という疑問に対して、
真善美という3つの要素が存在することを示しました。

見ての通り、

和多志は客観的指標を用いた評価や
構造化されたシステムを理解するのが得意なので、

どうもスピリチュアル業界は真実を無視するという
人や文化やシステムに目が生きがちです。

 

そして
和多志が彼らをなぜ本物なのか理解できない人達は、

和多志の中に存在しない美意識や快楽のポイントがあって
需要を満たしていることが考えられました。

 

もしかしたら
その人たちも
和多志と同じ人を癒すという部分での
美意識や安らぎや心地よさを感じる所が同じでも、

変な知識や非常識ないし個人の偏見やエゴのせいで
間違った善性で振り回されているかもしれないこともあります。

 

ですので
和多志が疑問に思うスピリチュアル業界や
靈能力者や霊能現象に対しての説明が、
真善美の統合に繋がることを願います

 

参考記事
「何かが満たされない」はなぜ起こるのか

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